最近気づいたことなんですが、息子は喜びのハードルが低いです。
・アイス食べられる → 超幸せ
・マクドナルド食べられる → 超幸せ
・車(レンタカー)に乗れる → 超幸せ
・おもちゃがもらえる → 超幸せ
という感じです。
なんでそうなのかなと考えてみると、
「それができるチャンスが少ないから」
「それができることがご褒美的な位置付けだから」
なのかなと思います。
我が家では、上記のことに回数制限を設けています。
アイスは週に1回まで。
マクドナルドは月に1回まで。
レンタカーは、月に1回まで、どこか遠出をするときだけ。
おもちゃは、誕生日とクリスマスだけ。
という感じです。
回数自体に深い意味があるわけではありません。ただ回数は決めた方が良いなと思って決めました。
理由としては、
アイスを食べるよりはご飯を食べた方が栄養的に良いから。
マクドナルドを食べるよりは自炊のご飯の方が栄養的に良いから。
車を持たないのは、電車移動で問題ないエリアに住んでおり、車を持つのはコスパが悪いから。
レンタカーは車でないといけないところや、お誕生日のおでかけなどに使うのみです。
おもちゃは、頻繁に買う必要はないかなと思っているから。
こどもちゃれんじもやっているし、おもちゃが大量にあるので、あえて買わなくてもいいかなと思っているからです。
で、なぜ回数制限を設けたかというと、子どもとの間の不要な摩擦をなくしたいと思ったからです。
たまに街中で、アイスが食べたいとかおもちゃが欲しいとかで泣き叫んでいる子どもと、その子どもをなだめるのに大変そうなご両親を見たりしますが、うちは幸いなことにあまりそういうケースがありません。
例えばアイスのケースで、「本当は明日アイスを食べたいと言っていたのに今日食べたい」と言い出したとしたら。
「アイスは週1回だから、今日食べてもいいけど、明日は食べられないよ」と説明した上で、「今日食べて明日食べないか」「今日は我慢して明日食べるか」を息子に選ばせます。
私としてはどちらを選んでもらってもいいです。
ただ、「今日食べる」ことを選んだのに、翌日になって気が変わった息子がどんなに「今日も食べたい」と泣き叫んでも絶対に与えません。
自分で決めて自分で約束したことだから、守ろうねというスタンスを貫きます。
もちろん誕生日とか、帰省中とか、誰かとご飯を食べているときに場の空気に合わせる必要があるとか、体調が悪いとか、特別に許したりという例外もあります。
でも基本的にルールは守ります。
そういうルールのもと生活していると、息子にとっては、回数制限があるからこそ、喜びが大きいんだろうなと感じられることが多いです。
これが回数制限されていなければ、そんなに喜ばないんだろうなと思うんですね。
ただの出来事だっただろうなと。
アイスがいつでも食べられる → ただのデザート
マクドナルドがいつでも食べられる → ただの外食
いつでも車に乗れる → ただのおでかけ
いつでもおもちゃがもらえる → ただのもらいもの
という感じで。
お金持ちの家庭だったらまた違ったやり方があるかもしれませんが、庶民の我が家では、「お金も時間もかけたのに、たいして感動を味わえない」なんて、コスパ悪すぎです。
だから我が家ではこれからも色々と制限をして、なんの変哲もないことでも満足感を味わいながら生きていきたいと思います。
大げさかもしれないけど、「あるもので満足する」とか「日常のささいなことに幸せを感じる」力が、今後の社会で生きていくなかで大切になっていくんじゃないかと思っています。
ちなみに、息子に自分の誕生日になにを食べたいかと聞いてみたら「マクドナルド」と答えました。
「誕生日にマックかーい!」と心の中でつっこみながら、要望通り誕生日には朝マックしました。
こんな感じでやっていきます。
★らっこって誰?という方はこちら↓
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