こんにちは。ワーママ5年生のらっこです。
突然ですが、ここから何回かに分けて、ワーママとして走り続けたこれまでを振
キャパが狭くてメンタルが弱い私ですが、
母親になってから、そしてワーママとして働き始めてから、
かつてなく「自分の望む生き方ってなんなんだろう」っていうことについて考えるようになりました。
まだ完全な答えは出せていません。
でも方向性は見えてきた気がす
ワンオペ環境下での2人目のタイミングに悩むママ、
キャリアや転
その他このブログに訪れてくれた全ての方に、なん
かなり長い話になるかもしれませんが、よろしければお付き合いください。
「いい学校に行って、いい会社に入れば、幸せになれる」と思ってたけど、全然そんなことなかった
話をわかりやすくするために、最初に私のバックグラウンドについ
私は電車が1時間に1〜2本しか走っていないような田舎に生まれ
第一子だったのもあり、小さいときから「いい子」で「優秀」
HSP気質でやたらと空気を読む子だった私は、周りからの要求に
教育ママだった母親の影響で、高校は県内で一番偏差値の高い学校に行き、大学は学びたかった学問で日本で一番偏差値の高い大学に
勉強が得意だったのか、母親に認められたくてがむしゃらに頑張っ
けれど、いつも周りからの評価を気にしがちで自己肯定感が低く育った私
心が折れきることなく今も社会で生きていけているのは、二度
私が住んでいたのが田舎だったからかもしれませんが、
私は「勉強を頑張っていい学校にいって、いい会社に入れば幸せになれるから」
「田舎で人生を終わらせるな、東京に行け」とかも言われていた気がします。
良くも悪くも「受験勉強」しかしていなかったので、自分の頭で物事を考えたことって、あまりなかった気がします。
あってもすごく薄っぺらかったというか、周りの人に敷かれたレールの上で考えていた感じ。
そんな「幸せになるためのレール(と思われていたもの)」からそれることなく歩いてきた
新卒で入ったのは、有名な大企業でした。
倍率は1万倍だか2万倍だか忘れたけど人気の会社でした。
第一志望の会社だ
でも結局、3年で辞めました。
今でも初めて会う人には「もったいないことしたね」と言われます
確かに給料はよかったです。
けど実際に勤めてみての感想は「組織が大きすぎて、自分の仕事の
職場の人のことは大好きでした。今でも仲よくしている同僚や先輩もたくさんいます。
でも職場の人のことが大好きなだけでは仕事は続けられませんでした。
福利厚生などのよいこともあったけど、大企業ならではのルールやしがらみが多く、
会社が社会に大きな貢献をしているという意識はありました。
でも私のやっている仕事が社会のどのようなことに役立っているのかの
そのことがモヤモヤを生み出していた気がします。
無意味な会議、各部署の調整、誰が読むのかわからない議事録作成
それら全部含めて仕事なのはわかっていたけど、自分の仕事に意味
なにより辛かったのは、「自分の仕事って誰にでもできるんじゃない
いや、誰でもできると書くと語弊があるかもしれないんだけど、「組織の歯車感
そりゃそうなんですよね、数年でローテーションで担当が変わって
組織の規模が大きくなればなるほど、仕事の属人化はマイナスになります。
けど、当時やっていた私の仕事を、私は、とてつもなくつまらなく感じたんです。
ひとつの例をあげます。
例えば私の担当地区がAからFくらいまであるとして、私の仕事はこんな感じでした。
「担当地区の売り上げが、計画と比べてどう進捗しているか(達成しそうか未達成になりそうか)を日々管理する。
(具体的には、地区の営業マンに「売上どうですか?いきそうですか?」って聞く)
その聞いた内容をまとめて、各地域の営業マンの代わりに上司に報告する」
っていう感じ。
これって、完全に、100%、ただのまとめ役っていうか、
伝書鳩みたいな仕事じゃないか?っていう。
「この仕事で、自分って何か生み出しているのか?」と思うと、「いや、間違いなく何も生みだしてないよな」っていう。
ただ聞いたことを資料にまとめて、それっぽく言うだけの仕事。
営業しているのは自分じゃないし。人がやっていることを報告するだけの仕事。
「こんな仕事でお金もらってていいのか?」っていう、そういう葛藤ばかりを日々抱えていました。
とはいえ、自分に何かすごい特技あるわけでもなかったのがまた辛かったです。
はっきり言って私は勉強くらいしかできなかった。それも教養とかでなく、受験勉強のみ。
強みも特になかった。それもまた無力感をおぼえる要因のひとつでした。
「自分が社会に提供できている価値って
そのわりに給料がそこそこ良かったので、働くごとにモヤモヤだけ
仕事に対して抱いていた理想と現実のギャップに対する悩みって、もしかしたら社会に出たら全員の人が抱くものかもしれません。
そんな小さいことで悩んでんじゃねえよって感じかもしれません。
でも私にとっては本当に苦しい悩みでした。
そんな悩みを抱え込んで、ビールで体の奥底に流し込もうとしてみてもうまく消せなくて。
仕事に行くのが嫌で嫌で仕方がなかった自分が、幸せになれるって信じてたのになれなかった自分が、情けなくて。
たとえば「自分の勤めている会社が新聞に載ったり、CMが流れたり
でも私は変にひねくれているところがあって、
「いや会社はすごいかもしれな
たぶん、そもそもの性格が大企業に合わなかったんだと思います。
新卒で入った会社で稼いだお金はすべて、ストレス発散のための外食や海外
振り返ると、バカみたいにお金を使っていたなと思います。
いや、バカみたいではなく、本当に
もちろん、ほとんど貯金はありませんでした。
仕事は激務でした。
毎日のように終電で帰る生活で、常に睡眠不足
ちゃんと寝てないから体調も壊しやすくて、繁忙期のあとはもれな
常時睡眠不足で働くなんて、今にして考えれば本当に生産性の低い
当時すでに夫と結婚していたんですが、仕事も楽しくない、けど激
最終的に、
心療内科などの病院にはかかっていませんでした。
が、最後の方はパソコンの画面を見るだけで涙が止まらなくなって
退職を申し出てから、何度か人事と面談をしたりもしましたが(辞めるんじゃなくて、まずは他の部署に異動するのはどう?という話などをしたり)
結局は休職も部署異動もせずに
辞めることが決まった頃に、お世話になっていた先輩がごちそうしてくれるとのことで飲みに行ったんですが、
そのときに言われた一言がその後もずっと心に残る言葉になりました。
「お前はな、すべての主語が「他人」なんだよ。
退職を迷っているときもずっとそうだった。
自分がどうしたいかじゃなくて、相手のことばかり。
「私に期待してくれていた上司に申し訳ない」「親はなんて言うだろう」とか。」
生まれてからそれまでの間、いつも自分の気持ちよりも周りからの期待に応えることばかりしてきた自分は、
自分が他人の評価を軸に考えているということすら気づかなかったので、
そのときは、この先輩の言葉を「そうかなあ」としか受け止められませんでした。
でも子どもを産んで、子育て本を読んだりしているうちに、その先輩が話してくれた内容について理解できるようになっていきました(この話はまたあとで書きます)
激務だった会社を退職してからしばらくは、のんびり過ごしました。
心を病んでの退職だったので、急いで転職はしないことに決めてい
「毎日夫のお弁当を作る」という、妻になったらやりたかったことをして専業主婦生活を過ごし、
半年ほどかけて休み、「そろそろまた働きた
もともと性格的にはずっと家庭にいられるような専業主婦タイプで
回復するのに半年もかかるくらいに疲れ果てていたんだなと驚き
今考えると、半年で済んでよかったなとも思います。
無理をしすぎ
続きます↓
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