こんにちは。時短ワーママのらっこです。
前回からの続きです。
ここまでの話はこんな感じです。
①いい大学を出ていい会社に入れば幸せになれると思ってたけど全然そんなことなかった件
⑦コネを頼って転職できるかなと期待したけどそんな甘くなかった話
⑧ひどい言われようだったけど、なんとか転職先を見つけるまでの話
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先の見えないモヤモヤに悩みながら目の前の仕事に追われる毎日に、ひとつの変化がありました。
学生インターンの女の子との出会いです。
ここではその子の名前をHちゃんとします。
Hちゃんはネットに強い学生で、業務委託としてお仕事をしてもらうことになった大学生でした。
採用面接での評価はすこぶる高かったのですが、、
採用してみたら、遅刻が多い、サボり癖がある、やると言ったことをやらない、という感じでなかなか扱いの大変な子でした。
(彼女の上司は別の人だったので、私は基本的にはおしゃべりをしていただけなのですが)
でも新しい会社で働くことに疲弊して「これでよかったのか」と悩んでいた私にとって、
会社の社員ではない彼女とのなんでもない会話が心の癒しになっていました。
彼女はひとまわりほど年下でしたが、とても頭がよくて読書好きでした。
私も読書好きなので、おすすめの本を紹介しあったりもして、彼女との会話はすごく楽しかったです。
ある日のこと。新商品の発表イベントで動画を流すことになったんですね。
英語の元動画を私が翻訳して、Hちゃんがその動画に日本語字幕をつけることになりました。
私は仕事で英語を使うことはあっても、イベントという公式な場で使われるような翻訳をするのは初めてだったので、わりとドキドキしていました。
たった数十秒の動画でしたが、細かい表現に注意しながら訳していたら数時間かかってしまい、ものすごく頭が疲れました。
でもなんだか心地よい疲労感でもあったのを覚えています。
そのときに「翻訳、楽しいかも」なんて思ったりして。
そんなふうに感じていた私に、完成した翻訳を見たHちゃんがポツリと言いました。
Hちゃん「この翻訳いいですね。らっこさんって言葉がうまいですよね」
えっ!そ、そうかな?照(びっくりしてどもる私)
このときのHちゃんのひとことが、このあともずっと心に残る大切な言葉になります。
ひとまわりも年下の学生インターンの女の子に褒められて嬉しいの?って話なんだけど、私はとても嬉しかったんです。
仕事は怠け者だし困った子なんだけど、Hちゃんは私が社会に出てから出会った誰よりも本を読んでいて言語化能力がものすごく高かったので、その点では年下ながら尊敬していました。
そんな彼女からもらった一言が、疲弊して自尊心もボロボロになっていた私の心にポトンと落ちて、身体中にじわじわっと広がっていくような感覚をおぼえました。
私って言葉がうまいんだ。
知らなかった。
そっか、、、
うれしいな。
そこから少しずつ、仕事への向き合い方が変わっていきました。
私の会社は海外から商品を輸入して国内に販売する仕事をしています。
そのなかで、英語で書かれている商品案内を翻訳してお客様への提案資料を作るのは私の仕事でした。(誰もやらないから私がやっていただけともいえる)
この提案資料を作る作業、ページ数も膨大だし時間がかかるので、ずっと嫌々作っていました。
なんだけど、Hちゃんの言葉を聞いてから気持ちが変わりました。
「言葉がうまいって言ってもらって嬉しかったな。
今回のこの資料、読んだ人に欲しいと思ってもらえるように作ってみようかな。」
それまでは正直やっつけだった部分が大きかったけど、
自分の作品を作ると思って前向きに取り組もうと思えるようになりました。
たったひとりのたった一言でこんなに気持ちが変わるなんて、我ながら単純だな、、と思うのですが。笑
やらされている感覚で仕事をするよりも、主体的に仕事をするほうが楽しいな~
と、忙しい日々の中でしばらく忘れていた感覚を思い出すことができました。
小さな会社に入ってリアルに毎月の売上を気にするようになり、
事務職である自分の存在が売上を作っていないことに劣等感をおぼえてしまっていた私でしたが、
だんだんと
「事務仕事を通して、間接的にでも売上に貢献したい」
「私にできる仕事で会社の役に立ちたい」
と考え方が変わっていきました。
ちょうど同じ時期に、私が電話応対して販売店舗へご案内したお客様から
「電話に出た子の対応がすごくよかったから、これ渡しておいて」
と、経営されているお店のポイントカードをいただいたりもしました。
その話を聞いたときにも、
私の電話応対、よかったんだ。
お客様との電話なんてこの会社に入るまでやったことなかったけど、喜んでもらえたなんてうれしいな。
これまで意識したことがなかったけど得意なことってあるんだな。
と嬉しく思いました。
こんなふうに思いがけず褒められるという出来事がポツポツと起こって、少しずつ前向きになっていくことができました。
気持ちが前向きになるのに従って、「この組織における自分の強みってなんだろう?」と真剣に考えるようになりました。
私は事務職ですが、営業と経理以外のことはほとんど網羅してやっていました。
ひとつのことを極めたスペシャリストではないけど、やろうと思えば調べながらだいたいのことはできるオールラウンダータイプです。
でもこのオールラウンダーなこと自体が、この会社においては自分の強みかもしれないと思い始めました。
専門職を雇えないような小さな会社には、私は重宝される人材なのかも?と気がついたのです。
例えば、
ホームページの更新が必要となればコーディングの仕方を勉強して素人ながら更新できるようになり、
カスタマーサービスが必要となれば修理業者を探して修理フローを作り、
新商品の提案資料が必要となれば翻訳しながらプレゼン資料を作り、
店頭用のPOPが必要となればPOP、説明書が必要となれば説明書、メルマガが必要となればメルマガを作り、
新規事業の立ち上げが必要となれば、モノを輸入して倉庫を契約して在庫システム入れてパッケージや販促物を作って販売までの全体をマネジメントしたり。
その道のプロから見たら素人みたいな出来かもしれませんが、小さな会社ではプロばかりにお願いするわけにもいかないじゃないですか。
だんだんと会社のなかで、誰もやったことのない仕事が発生したら、私が調べながら対応するというのが通常の流れになっていました。
正直いうと私もただでさえ忙しいし積極的にやりたかったわけではないのですが、
急に振られて忙しくやらされるよりは先に自分からやろうと思ってやっていた感じです。
一度、私の親戚が亡くなって忌引きを取ったときがありました。
お休みはもらえたのですが、数日後に出社したら休んだ日数ぶんの仕事が完全に止まっていたのを見たときに、
この会社、私がいなくなったらどうなるんだろう?普通に困るのでは?
という気持ちが湧いてくるようになりました。
その頃からだんだんと「私は私にしかできないことをきちんとやっている」と思えるようになっていきました。
それまで感じていた売上を作り出していない存在であることや、時短で働いている負い目が薄れるようになってきて、
少しずつ自分の存在に自信が持てるようになってきたのです。
一方で、これだけ働いているのに相変わらず、残業代が一円も出ないことに対するモヤモヤは払拭できませんでした。
時短で働く条件で入ったのにサービス残業になっている実態があるのに、経営陣が見て見ぬふりをしていることへの不信感が積もっていました。
インターンのHちゃんの言葉のおかげで仕事へは前向きに取り組もうとできているけど、会社に対しての不信感が拭えず、
すごく前向きに仕事ができている日と、なんだか搾取されているだけな気がして前向きになれない日の両方があって、気持ちに波のある時期が続いていました。
そんななか色々あってHちゃんは会社を去ることになり。私はおしゃべりができる唯一の相手が辞めてしまうことへの寂しさがありました。
ひとまわりも年下の子の存在にそこまで救われるなんて、私もかなり精神的に限界が来ていたんでしょうね。
転職したてで辛かったこの時期にHちゃんと出会えたことは私にとっては救いでした。
今はもう連絡を取ることもありませんが、彼女には心から感謝しています。
そこから先の私の心の支えはふたつだけになりました。
時短で働き続けることと、2人目を産むこと。
このふたつを果たすことだけを目標に、なんとか心のバランスを取っていました。
出産にあたって大事なのは私の年齢だと思っていたからこそ耐えていました。
32歳(33歳になる歳)で転職をするときに最低1年は妊娠しないで働こうと決めていたので、最短でも出産は34歳のときになる予定でした。
長男との年齢差は、一番うまくいっても6学年差です。
少しでもズレると35歳になり、高齢出産の仲間入り。
なのにここでまた転職すると、出産年齢が36、37とどんどん上がってしまう。
それはできるだけ避けたい。家族のためにも、息子のためにも、生まれてくる子どものためにも。
2人目を産むために、この会社がどんなに過酷で劣悪な環境でも耐えようと、転職してからずっと何度も何度も自分に言い聞かせていました。
Hちゃんになんで辞めないのかを聞かれたときの私は在籍してちょうど一年ほどでしたが、心はすり減りきって、身体もボロボロの時期でした。
でも2人目を産みたいという希望のためになんとか気持ちの糸を繋いでいる、そんな感じの日々。
ちょうどその頃、胃の薬が終わったのもあり、妊活をスタートしていました。
最初の数か月ほどはうまくいかず。
「まあそんなすぐできるわけないよね〜」とは思いながらも、焦りが募ります。
夫には「そんな2年も3年もできてないわけじゃないんだから。まだ始めてすぐじゃん」と言われていたけど、
何しろ2人目のためにこの会社にい続けているわけで、それなのに2人目ができないという状況がどれだけ辛いか。
似た経験がある方ならわかっていただけるんじゃないでしょうか。
さらにチャレンジするものの、うまくいかず、涙して、、を繰り返しているときに、私にとって人生最大の底が訪れます。
※そのときの細かい記録はこちらへ→ ワーママ5年目にして、史上最大の底辺メンタルに陥った理由
このときなにが起こったか簡単に書くと、
息子の保育園の運動会で、私が死産したのと同じ時期に出産していたママさんとその子どもさんをたくさん見た(ダメージ1)
その翌日に生理が来て、その周期も失敗に終わった(ダメージ2)
さらに生理が来たその日、日曜日だったんですが仕事のトラブルが発生して終日対応していた(ダメージ3)
その翌日の月曜日に、超急ぎの仕事を退社後の家についた後に「なる早でやって」と振られた(ダメージ4)
という出来事が重なって、心の糸がプツンと切れました。
4つめの仕事の指示に関しては、今なら「無理です」って言えるんだけどね。このときの私には無理でした。
当時、死産から1年以上経っていたとはいえ、同じ時期に妊娠していたママさんとその子どもさんを見るのは本当に辛かったです。
でも運動会で凹んでいるわけにもいかないので、必死に笑顔を作っていました。
生まれたばかりの赤ちゃんを抱っこさせてもらう機会もあってね、可愛かったけど、複雑な心境でした。
やっぱり思ってしまったのよね。
なんでこの人達は出産できて、私は出産できなかったんだろうって。
もう一度チャレンジするために転職までして、大変な環境で1年頑張って働いてきたのに、なんで私のところには赤ちゃん来ないんだろう?
私なにか悪いことしたかな?って。
それで精神的な限界が来ました。
なんかもう、何もかもどうでもいいや。
と思いました。
2人目、諦めようかな。
なんかもう全部間違った。
全部リセットしてまた最初からやり直そうかな。
もう無理だ。
明日「辞めます」と言おう。
息子ごめん、きょうだいを作ってあげられないかも。
でもお母さん限界がきたよ。
心が弱いお母さんでごめんね。
こんなふうに精神的に限界を迎えた日、「話があります」と経営者と社長のアポを取りました。
続きます。
★この期間、悩んだり前を向いたりしてメンターに救いを求めたりした記事はこちら↓
★記事中で参照した記事はこちら↓
★2人目を死産したときの話(アメブロに飛びます)↓
★そのほか、失敗談はこちら↓
★このシリーズを最初から読む方はこちら↓
①いい大学を出ていい会社に入れば幸せになれると思ってたけど全然そんなことなかった件
⑦コネを頼って転職できるかなと期待したけどそんな甘くなかった話
⑧ひどい言われようだったけど、なんとか転職先を見つけるまでの話
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