こんにちは。時短ワーママのらっこです。
前回からの続きです。
今回は過去最高に長くなってしまったので(いつも長いけど)お時間あるときにご覧いただけたら嬉しいです。
★このシリーズを最初から読む方はこちら↓
①いい大学を出ていい会社に入れば幸せになれると思ってたけど全然そんなことなかった件
⑦コネを頼って転職できるかなと期待したけどそんな甘くなかった話
⑧ひどい言われようだったけど、なんとか転職先を見つけるまでの話
⑪ある女の子と出会って救われたけど2人目が出来ずに心折れてもう辞めようって思ったときの話
– – – – – – – –
乗り越えられていない死産の辛さ、2人目ができない焦り、減った給料、忙しいだけで報われない日々。
当時の私はもう精神的に限界で、もうどうなってもいいからとりあえず逃げたいと思ってしまいました。
いま振り返っても、このときが私にとっては人生の底でした。
もう無理だと思った日の翌日、経営陣に「話があります」とアポを取りました。
話の流れで割愛したのですが、実は私、この精神的に限界を迎えるときの1ヶ月くらい前に給与交渉をしていました。
詳細はリアルタイムでnoteの方に書いてありますので、よかったらご覧ください↓
簡単に内容を書くと、
少しずつ自分の仕事内容に自信を持ててきたのもあり、会社に対して「期待に応えられているなら昇給させてほしい」と言いました。
会社からの回答は「もちろんだよ」だったのですが、昇給の時期や金額は未定でした。
何となくの雰囲気では「決算が終わって業績がよかったら昇給」という感じでした。
当時の私にとっては昇給を口に出すのもめちゃめちゃ勇気を振り絞ってのことだったので、いつ、どのように上がるかまで聞くことができなかったのです。
ちなみに決算の時期は半年以上先だったので、
「えっ、まだここから半年以上この給料で働くんかい」
と思ってしまったのが正直なところでした。
昇給できるほど評価してもらえていること自体は嬉しかったけど、
給与アップの交渉に成功したはずなのにモヤっとした感じが残っていました。
で、このとき精神的に限界を迎えたのは、昇給時期が未定なことも精神的な限界に追い打ちをかけていた感があります。
「もう昇給も何もいらん。もう疲れた、辞める。」と思ってアポを取ったのですが、
話し合いが始まると同時に、オーナーが一枚の紙をペラッと出してきました。
「今日、君がどんな話をしようと思っているのかはわからないけど、
その前に僕たちから渡したいものがあるので、先に話させてもらっていいかな?
いろいろと仕事を頑張ってくれているので、管理職への昇格と昇給を決めたんだけど、どうかな」
ペラッと出された書類を見ると、確かにマネージャーへの昇格と昇給が書かれていました。
ちなみに昇給金額はマネージャー手当として5万円でした。
年間60万円。
我が家のような庶民にとっては、結構でかい金額です。
前職は経営状況がよくなかったし、
昇給しても「時短前の給料」だったので、時短後で計算するとほとんど上がっていない…という状態だったので、
私はここ数年ほとんど昇給をしていませんでした。
そんな状況もあり、私にとって60万は大きかったです。
保育園代をカバーはできないにしても、大部分が払える。(このなんでも保育園代と比べる癖、いまだに直らない。笑)
提示された昇給額は想像していたよりも多かったです。
まーでも、これね、
確実に、私がアポを取ってから昇格と昇給を決めただろ
と思いましたね。
間違いなく、私がアポ入れたことで「やべえこいつ辞めるかも」と思って焦ってその書類準備したよね?と。
しかも5万円という金額が絶妙でした。
当時の私のメンタル状況的に、正直、3万円までの昇給だったら辞めていました。
月3万も大きな金額なんだけど、それ以上に心が疲れていて、3万ではもう無理、逃げたいと思ってしまう精神状況になっていたのです。
でも、そこで「5万円できたかー」という感じ。
「天才的な感覚だな」と思いました。
私、一瞬だけ悩みます。
そして、辞めないことにしました。
(辞めないんかい!)
だって一応、曲がりなりにも、どんな経緯を経ていようとも、昇給して昇格したわけだよ?
これはさ、次に転職するときに履歴書に書けるじゃん。
転職して1年で昇給して昇格しましたよって書けるじゃん。
それならば受けておかないと損!
と、頭の中で私の損得コンピューターがカシャカシャと計算した結果、「ここは受けよう」と答えが出ました。
で、辞めないことにはしたものの、一応ストレスを感じていた点についての主張はしました。
子育てをしていて、頼れる人もおらず、帰宅後に急ぎの仕事の対応をすることは本当に難しいこと。
あと、退社後に調べればすぐわかるような簡単なことを問い合わせてこないでほしいこと。
(これは私の性格の問題なのかもしれないのですが、、、
退社後にも「あれどこに置いてある?」「あの資料どこ?」みたいな電話がバンバン来るのが本当にストレスでした。
トラブルがあって緊急対応が必要になったとかならまだしも、そんなどうでもいいこと退社後の人に聞く?みたいな。
すべて予め伝えてあるのに、覚えてもいなければ履歴を遡りもしないんかい!っていうね。
私は子どもとの時間を確保するために時短にしているのに、子どもの前でそういうどうでもいい仕事の電話をするのがすごく嫌でした。
人の時間を奪うことに無頓着な人ばかりなのが本当に苦痛でした… )
その他に話した細かいことは忘れてしまいましたが、とりあえず思っていたことをすべて伝えて、話し合いは終わりました。
ちなみに急ぎの対応は難しいと主張したことについては最後までわかってもらえませんでした(←えっ)
子どもの病院で抜けたりのフレキシブルな働き方を認める代わりに、帰宅後も携帯から対応してほしそうな感じでした。
でも私はそこは流しました。
(実際すでに対応していたし、まあ私自身、気になってしまったら対応しないと気が済まないタイプだし対応するだろうなと思ったので)
オーナーは子どもを育てながら働いたことがない男性だし、私の意図を理解してもらうのは無理だなと感じ取ったので諦めました。
社長は子育て経験もある女性ですが、既に子どもは中学生になっていて大きいし、両親の協力が手厚いので(電話で呼べばすぐ来てくれる感じ)
こちらも理解してもらうのを諦めました。
というわけで、訴えはしたものの「頼れる人がいないワーママの働き方」を理解してもらうことは無理だなと思ってしまったのが正直なところでした。
この点については自分で気持ちを切り替えていくしかないなと腹をくくりました。
でも、どんな形であれ昇給を手に入れたことが(昇格は正直どうでもよかった)自分の気持ちを少し晴らしてくれました。
とりあえず、
私は前進したぞ!
(待遇的な)人生の底からは抜け出したぞ!
と自分に言い聞かせました。
それからも仕事は忙しくサービス残業をしないと回らない日々はしばらく続きましたが、精神的にはだいぶ持ち直しました。
妊活に関しては、自分の年齢のこともあり、ただ時間が過ぎていくのが怖かったので、
スタートから半年くらい経ったところで不妊外来を受診していました。
2人目がなかなかできなかった前の職場の先輩から「タイミングを診てもらったらすぐできた」と聞いていたので、
早いところで受診しようと思っていたのです。
血液検査をして残っている卵子の数を見てもらった結果、年齢相当(34歳)か1歳くらいプラス(35歳相当)とのこと。
そこまで焦る数値ではないので、「まずはタイミングで様子を見ましょう」ということになり、
土曜日に病院に通いながらタイミングを診てもらったりしました。
不妊外来の待合室にはたくさんの人がいて、「こんなにたくさんの人が赤ちゃん欲しいと思っているんだな」と勇気をもらえたのを覚えています。
子どもが欲しいのに妊娠できないというのは、
それまで「努力すればだいたいのことはなんとかなるっしょ」と思って生きてきた私にとっては歯痒い状況でした。
妊娠というのは、本人の努力でどうにかなる問題ではないからです。
もちろん身体を温めたりとかそういう努力はできるけど、
最終的に受精して着床して育ってくれるかは自分ではどうにもできない。
やるだけのことをやって、祈るしかできない。
頭ではわかっているんだけど、それが辛かったです。
自分が頑張れは確率があがるとかなら、どんなことでもするのに、と、何度も思いました。
街中を歩いている子どもが複数いるご家庭を見ると「ああ、いいなあ」と羨ましかったし、
自分にはできるのかな、このままできなかったら諦めないといけないのかな、などと考えながら日々を過ごしていました。
その後の仕事はというと。
精神的に限界だった時期に立て込んでいた仕事の結果が見え始めてきていました。
実は忙しかった原因というのが、私の心の支えだったHちゃんがいなくなったためにその仕事がすべて私に乗ってきたからでした。
もともと会社にできないことをやるためにHちゃんを雇ったのに、そのHちゃんが使えなかったので解雇となったわけです。
急な解雇だったし、そのあとその仕事をできるスキルを持った他の人を採用できたわけでもなく。
動かせない仕事の納期だけが、ただそこにあるという状況になったらどうなるか?
当然、やれそうな人がやることになるわけなんですよね、、、
で、会社の中で、調べて試行錯誤しながらやれそうな人といったら私しかいなかったので、当然のように私がやることになりました。
その仕事は簡単に言うと、新しい商品(海外の)を日本で売るためにネット販売環境を整える仕事でした。
で、そのブランド説明や商品紹介ページを作るのが私の仕事となりました。
その商品自体は魅力的だったのですが、使い方が少し難しくて、言葉で魅力を伝えるのが難しい商品でした。
なのに魅力的な画像がないからこちらで作るしかなくて、無料画像加工サイトで説明画像を作ってみたり、
静止画だけでは魅力が伝わらないからと、本国に動画を作ってもらってYoutubeにアップしてみたり、、
初めてのことばかりでバタバタもありましたが、自分の文章でものを売るという経験は貴重なものでした。
でも私なりには全力でやったのですが、比較的高額な商品だったのもあり、
会社は「まあ、売れないだろうね」という雰囲気でした。
(通常以外の仕事を急に振っておきながらのこの雰囲気… マジでむかついた… 笑)
が!
その予想に反して、なんと、発売開始してすぐに売上がポツポツと立ったのです!
これには会社の皆も驚いていました。
ただ私は会社の人の反応よりも、
私が書いた商品紹介で「いいな」と思って買ってくれる人がいたという事実が、ものすごく嬉しかったです。
Hちゃんに褒めてもらった私の言葉で、ほんの少しの人数でも、人の心を動かせたのかな?と思えたことがすごく嬉しくて。
これまで苦しい中で耐えてきたことがひとつの形になったな、と、報われた気持ちになりました。
結局その商品は最初はパパパッと売れたものの、その後は売上が落ち着いてしまい、
広告予算もかけられないし、その後私は担当が変わったのでブラッシュアップする時間も取れなくなり、で、
現時点でも会社の売上を大きく支えるレベルの商品にはなっていないのですが、
初めて会社の仕事で自分の文章でものを売れたという経験は、すごく嬉しかったです。
Hちゃんが辞めたことで振ってわいた仕事でしたが、サビ残しながら「くそー!」って取り組んだ仕事でしたが、
全力でやってよかった。と自分を褒めてあげたい気持ちになりました。
そして少しずつ、こういう仕事をもっとやってみたいな、と思うようになりました。
海外の魅力的な商品を輸入して、日本で販売する。
自分の言葉でその魅力を伝えて、日本の人に届ける。
そんな仕事ができたら理想だなあ、と思うようになりました。
必要最低限の英語はできるし、輸出入も在庫管理もできる。
あとはこの会社で人に文章で魅力を伝えること練習をしていければいいな。
そんなふうに思うようになっていきました。
それまで忙殺されるだけで具体的な自分の人生の方向性が見えていなかったけど、
改めて自分の好きなことと得意なことを棚卸してみたら、なんか少し見えてきたかもしれない。
でも、輸入して販売してなんて、既にたくさんの人がやっているし、私にしか提供できない価値なんてあるんだろうか?
そこをもう少し考えていかないといけないな、、、
そんなことを考えていたとき、
妊娠が発覚しました。
家で検査薬を試したときには、嬉しさで手が震えました。
嬉しくて嬉しくて嬉しくて。
待ちに待ったこの瞬間が来た!!
嬉しさで叫び出しそうになるほどでした。
ようやく人生が上向いてきたかな?と思えました。
でも次の瞬間、自分がいないと会社が回らないのに、産休育休なんて取れるのか?という現実的な問題に気づきました。
そこで私が取った対応は、即会社に妊娠を伝えること。
「少しでも早く私の後任を探してください」のメッセージを込めて、まだ病院も受診していない段階でしたが、会社に伝えました。
大きな会社ならまた勝手も違うでしょうが、うちのような小さな規模の会社では、
流産の手術のために休むときにも結局なぜ休むのかの理由を伝えないといけないから、早く言うに越したことはないと思ったのです。
会社からはどんな反応が来るかドキドキしていましたが、皆からの第一声が
「よかったね!ずっと欲しいって言っていたもんね」
でした。
「えっ、困る!」じゃなかったことがホントに救いでした。
仕事は忙しいけど、悪い人達じゃないんだよな、などと思いました(何様)
その後、病院に行って無事に胎嚢が確認でき、妊娠していると実感できたとき、本当に嬉しかったです。
ただ、、、
その後の診察で、心拍の確認ができませんでした。
先生からは、
「ん~?
そろそろ心拍確認できてもいい頃なんだけどね。
まあ、排卵日がずれたのかもしれないから、来週もう一回来てくれる?」
と言われたのですが、、、
私は不妊外来に通っていてタイミングを診てもらっていたんです。
そのうえでの妊娠なので、排卵日がずれた可能性は低いと思いました。
このことが意味していることは、つまり、流産の可能性が高いのでは?ということでした。
このときの私、
「………….」
という感じ。
無。
虚無。
うそでしょ?
ようやく授かれたのに、
あの日々に耐えてきたのに、
このまま心拍確認できないなんてことある?
考えたくない。
そんなわけない。
息子のときのエコー写真を引っ張り出してみたり、
心拍確認が遅れたけど無事に出産できた人のブログや知恵袋を読みまくったりして
「大丈夫、きっと大丈夫」と自分に言い聞かせていましたが、
うっすらと感じていた嫌な予感は消せませんでした。
その後、1週間、2週間経っても心拍の確認はできませんでした。
12月下旬の診察の日、ついに先生から言われます。
「まだ決まったわけではないけど、いま心拍が確認できないということは、流産の可能性が高いです。
でももう年末だから、年内には手術ができません。
とりあえずしばらくこのまま経過を見て、年明けにもう一度来てもらえますか?
そのとき心拍が確認できていればラッキーだし、もしかしたらその前に自然に出てきてしまうかもしれない。
年明けにどうするかまた話し合いましょう」
私、この話を聞いて、
精神崩壊します。
その日の会社は休みました。
仕事なんかできる状態じゃなかった。
しかも産婦人科の先生はきっともうほぼ確実に流産だってわかっているだろうに、
優しさからなのかなんなのか、「流産の可能性が高い」としか言ってくれない。
流産なら流産って言ってよ。
そしたら生卵でもローストビーフでも食べて、ビールも飲むからさ。
たぶん流産だろうけどまだ確定診断はできないって状態のまま年越しをするって、どれだけ辛いか。
もう絶望でしかなかったです。
クリスマスケーキも、美味しいご馳走も、何にも嬉しくない。
こんな辛い年末ってある?
せっかく人生が上向いてきたと思ったのに。
すべて幻になっちゃった。
やっぱりもう2人目は産めないのかな?
諦めろってことかな?
そんなふうに思いながら年越しをしました。
この時期はきつかったです。
1回なら、そういうこともあるよねってまだ耐えられたけど、、、
2回連続って辛いぞこれ。
どうやって持ちこたえればいいの?
もう頑張れる気がしないんだが?
救いになったのは、身の回りの流産経験がある人の話でした。
Twitterには複数回流産してもまたトライしている人がいて勇気をもらえたし、
(このときの流産の詳細はこちらのnoteに書いてます⇒ Twitterに救われて生き延びることができた話。)
保育園にも2回流産した友人ママ(今は2人のお子さんがいる)がいたので、話を聞いてもらったりしました。
その頃、職場にアルバイトとして来ていた人(男性)も妊活中で、これまで3回流産しているという話を聞いて、
辛い経験をしているのは私ひとりじゃないんだな、と思えました。
このときに言われたのは、
「今は耐えがたいほど辛いかもしれないけど、きっと時間が解決してくれる」
ということ。
そういうもんなのかなあ、今はとても前を向ける気がしないな、と思いながらも、
前回の死産のときにきちんと悲しまなくて半年後に反動が来たことを反省して、
今回はどっぷり悲しみに浸ろうと思って年末年始を過ごしました。
長期連休だったのもあり、夫と色々と話ができて、辛い気持ちを共有できたのもよかったです。
そのときに夫と話したのは、「家族が3人だったら不幸なのか?」ということ。
私はどうしても2人目が欲しくて、ずっとその目標に向かって進んでいたけど、
家族が3人だったらダメなのか?ということについて真剣に向き合い始めました。
夫はこう言いました。
「今回も残念だったけど、家族3人で過ごすっていうのもいいと思うよ。
増えたら増えたで楽しいだろうけど、家族3人でもいいんじゃないかな」
それから、家族が3人であるメリットについても色々考えました。
息子と過ごす時間がたっぷり取れること。
金銭的にも投資してあげられる分が増えること。
家族で楽しめる娯楽や旅行の選択肢が増えること。
フルタイムにして働けるタイミングが早まるだろうこと、などなど。
そもそも私はなんで2人目がこんなに欲しかったんだっけ?
もちろんもう一度赤ちゃんを抱きたいという本能的な欲求もあるけど、
心のどこかで望んだことが果たされないなんてことが許せないみたいな思考はなかったか?
でも妊娠出産という自分の力ではどうしようもないことをどうにかしたいなんて傲慢なんじゃないのかな。
そもそもそういう思考でいるから、うまくいかないんじゃないかな?
一回、2人目がいないなんて嫌だ、っていうこだわりを捨ててみたほうがいいのかも。
家族3人でも生活は楽しいし、幸せなはず。
だってこれまでの5年半も楽しかったし幸せだったもん。
きっとこれからもそうだと思う。
こうありたい自分を目指して努力する、足りないところを埋めていくのが私の唯一の良さだったけど、
なんかもっとこう、今の毎日を全力で楽しむ努力をしたほうがいいんじゃないかな。
あれがない、これがない、あれもほしい、これもほしいって望んでばかりじゃなくて、
目の前のことをもっと味わって楽しんで生きたほうがいいんじゃないかな、と思うようになりました。
あー、今日も楽しかった!って満足感が高い毎日を送れるようになるにはどうしたらいいか?
ってことを考えたほうが前向きなんじゃないかな、と考えたのです。
(このことを考えていたときのリアルタイムの記事はnoteに書いてます⇒ 毎日が幸せだなあと思えるように、心がけることにした2つのこと。 )
で、そのうえで、
2人目のことは、なるようになる。
なるようにしかならない。
と思いました。
どうせ手術したら2、3ヶ月は妊活お休みしないといけないし、その間は目の前のことを精一杯楽しんで、仕事もがっつり頑張ってみようかな。
その後のことは、その後に考えたらいいや。
そんなふうに思うようになりました。
この時期はものすごく辛くてよく泣いていたし、特に手術が終わるまでは精神的にボロボロでした。
でも、いま振り返っても人生の底はこの流産のときではなかったなと思います。
その前の、2人目が欲しいという思いにとらわれていた時期のほうがしんどかったです。
このときの流産が終わるころには、2人目を産まないということも選択肢のひとつに入るくらいに、現実を受け止められるようになっていました。
なぜかというとですね、
自分の運は自分で上げていかないといけないんだな
と思ったからです。
なんだか少しスピリチュアルな話になってしまうのですが、、、
(嫌な人はここでUターンしてくださいね)
私は両親を失ったのをきっかけに「常に最悪のことを想定して行動する」のが癖になってしまって、
もしかしてその思考のせいで、不運を引き寄せてしまう体質になってしまったのでは?と長らく思っていました。
でもその引き寄せ体質は自分ではどうにもできないだろうから、強運そうな人にあやかりたいと思っていました。
(意味がわからないっていう人も多いかもしれませんが、当時の自分は本気でそう思っていました。)
その点、オーナーと社長は強運体質でした。
話を聞いているだけでも「この人達もってるな」と思うようなツイてることばかり起こっていたのです。
(もともと乗る予定だった飛行機に乗り遅れたけど、そのおかげで事故にあわずに済んだ、とかそういう系の強運です)
で、私がこの会社に転職しようと思った理由のひとつに、
「この人達、なんか運が強そうだし、運を分けてもらえそうだったから」
というのがありました。
(マジです。)
でも、強運そうな人達が経営しているこの会社で妊娠しても、結局うまくいかなかったという経験をして、
ようやく私は気づいたのです。
運って、人任せにしてもダメなんじゃないかな。
運気は自分で上げていかないといけないんじゃないかな?
って。
強運そうな人のそばにいるからって自分にもいいことが起こるなんて、そんな都合のいいことはないんじゃないかな?って。
運は自分で引き寄せるもの。
最初からそう思える人にとっては「今さら?」っていう感じかもしれませんが、
度重なる不運な出来事があった私は、自分という存在がなんだか不吉なもののような気がしてしまって、
自分にラッキーなことが起こると信じて疑わない、というような強いマインドはどうしても持てませんでした。
で、そこからどうすれば運を引き寄せられるかと考え始め、スピリチュアルな本を何冊も読みました。
うさん臭いものから、なるほどな~っていうものまで色々ありましたが、
読んだ内容を踏まえてさんざん考えて、至った結論はふたつです。
ひとつは「自分にいいことを起こすには、目の前のことを全力でやっていくしかないんじゃないか」ということ。
もうひとつは「自分のやりたいことを、きちんと口に出して言おう」ということ。
運を人任せにしないで自らつかむ努力をしないといけないとは思ったけど、それだけじゃたぶんダメで、
自分がやりたいことを口に出して言うことも大切なんだろうなと思ったのです。
当面は2人目のことは考えないで、目の前のことを全力で楽しんで生活してみよう。
妊活できないこの3ヶ月は、仕事を前向きに頑張ろう。
そう思って、オーナーと社長に「話があります」とまたアポを入れました。
今度は前向きな話をするためのアポです。
何を話そうと思ったかというと、大きく三つです。
・冷静に考えて私が担当している仕事は多すぎる。他の社員と比べてバランスが悪い。
・時短だけど仕事で成長していきたいので、雑務を減らしてほしい
・なので人を採用してほしい
会社には営業担当の先輩がいて、入社当初は自信満々でハングリー精神旺盛で「すごいな」と思ったし、
「らっこさんは将来なにで食べていきたいの?」と連日のように聞いてきてくれたことは貴重な考えるきっかけにもつながりました。
でも、この時点で1年半ほど一緒に働いているなかで、先輩の弱みも見えてきていました。
その弱みというのが、「やりたいことしかやらないこと」でした。
先輩が好きなのは人と話すこと、好きな商品の売り方を考えることでした。
でも当時事業を複数に広げていたうちの会社のなかには、先輩が好きじゃない商品もたくさんあって、
先輩が好きじゃない仕事は(やらないから)自動的に私がやらざるを得ない状況になっていました。
つまり会社の事業が増えれば増えるほど私の担当は増えるのに、先輩の仕事はたいして増えないということです。
そのくせ先輩はフルタイムだからという理由で私の3倍近い給料をもらっていました。
私が残業できないのは認めるし、休日出勤もしないし、出張もしないけど、
でもそれでも3倍の差ってある?という疑問が強くなってきていたのです。
もちろん先輩の存在は会社にとっては必要不可欠だったし、営業がいないと売上が立ちません。
でもこの頃には、私も自分の存在が会社にとって必要不可欠なことにしっかりと自信がついていました。
そこで考えたのが、どうせなんでもやらされるなら、自分が成長できるための環境を整えようということ。
そのためには、できるとわかっている仕事や雑務をやる時間を減らすことが大事だ、と思いました。
ただ問題だったのは、できるとわかっている仕事も雑務も、会社を回すためには必要だったこと。
目先の売上のためにはそういう仕事こそ大事だったのです。
だから、その私にとっての「できるとわかっている仕事」をやってくれる人を雇ってもらおうと考えました。
当時会社の売上は順調に伸びてきていたのもあり、私たち社員が忙しすぎる状況に対して、
社長も「必要ならアルバイト雇ってもいいよ」と言ってきてくれていました。
ただ私は、私の管理監督が必要なアルバイトが何人増えたところで仕事は楽にならないと思っていたから、信頼できる正社員がひとり欲しいなと思っていました。
オーナーと社長との面談では、まず、当時私がやっていた仕事の内容をすべて書き出し、「私はこれだけのことをやっています」と伝えました。
文字にして起こされると結構迫力があったのでしょうか、おふたりとも「ゴクリ…」と言う感じでした。
(もしかしてまた辞めるというと思われたのかな?わからんけど)
で、私は話します。
「おふたりもご存知の通り、先輩は自分の興味のある仕事は熱心に取り組みますが、そうでない仕事はやらない、あるいは先延ばしにする傾向があります。
なので、会社がやらないといけない仕事のうち、先輩がやらない仕事はすべて私がすくい取って、調べながら学びながらやってきました。
その結果が今ここに書いてある内容です。
私は新しいことを学びながら仕事をしていくことは成長につながるので前向きにやっていきたいと思います。
さらに言うと、勤務時間は増やせないけど、年収は上げていきたいと思っています。
でも今の状況だと仕事が多すぎて、ルーチンを回すので精一杯な状況です。
この状況をなんとかしたいのですが」
オーナー「勤務時間は増やせないけど年収を上げていきたいということは、仕事の付加価値を上げるっていうことだよ」
私「はい、わかってます。
なので、私にとってもうルーチンになってしまった仕事をやる人を雇ってください。
それによって空いた時間で、私は付加価値の高い仕事をします」
オーナー「わかった、じゃあ自分で探して。見つかったら紹介して」
私「わかりました」
オーナー「ちなみにどんな仕事をやりたいの?」
私「自分の言葉のスキルを磨いていきたいと思っています」
オーナー「言葉を使う仕事で、営業じゃないなら、マーケティングっていうことになるけど」
私「はい、やってみたいです」
オーナー「考えておく」
その他の詳細は忘れてしまいましたが、とりあえずこんな感じの話をしました。
私にとって大きかったのは、初めて自分の口で「年収を上げていきたい」と話したこと。
そして「そのために人を雇ってください」と言ったことです。
ちなみにオーナーからは「人を探して」と言われましたが、これは予想通りです。
なぜかというと過去にうちの会社は何人も社員を雇っていたのですが、ハズレが多かったから。
だから転職サイトを使っての新規採用は避けたいこと、できれば知り合いの紹介で人を雇いたいと思っているのを知っていました。
実は私、心から信頼できる人で、私が渡したかった仕事を私以上に完璧にやれる人にひとり心当たりがあったのです。
まだ続きます。
(次で最後の予定!)
.
★この記事で参照したリンク↓
自分に自信のない私が、人生ではじめて給与交渉をした話。| らっこママのnote
Twitterに救われて生き延びることができた話。| らっこママのnote
毎日が幸せだなあと思えるように、心がけることにした2つのこと。| らっこママのnote
★このとき読んで影響を受けた本
マイナス思考から抜け出すきっかけをくれた本『幸福になりたいなら幸福になろうとしてはいけない』
★そのほか、失敗談はこちら↓
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仕事のことや日々の気づき、読んでよかった本の感想など。わりとつぶやいてます。
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