どうした、突然!という感じなのだけど。
エッセイを書きたいと思った。
「そもそもエッセイって、なに?」と思ってChatGPTに聞いてみると、めちゃくちゃ長文が出てきて、ゲンナリした。
そういうのじゃないんだよ。ひとことで言ってくれよ。
…そうか、指示文に「ひとことで」と入れればよかったのか、と反省しつつ、もう一度ChatGPTに聞く気力はない。
ネットを覗けば「AIの使いこなし方」とか「AIを使ってこう効率化しよう」みたいな文章が溢れかえっていて、またちょっとゲンナリする。
「効率化を求めた先に、なにがあるのだろう」とも思う。
自分で試行錯誤をして、ときには時間を無駄にしないと手に入らないこともあるのではないだろうか、とも。
といいつつ、私自身、最近のリサーチにはよくPerplexityを使っている。
調べ物をしたいときにGoogleの検索窓に文字を入れることはグンと減った。
AIの回答をざっと見て、追加で聞きたいことを聞いていく。
「これ以上はAIじゃダメそうだな」と感じたら、初めて個々の記事を読む。そんな感じの使い方。
AI検索ユーザーが増えると、まとめサイトの存在はどんどん軽くなっていくと思う。
究極的には「人間に求められるのは、人間にしかできないこと」に集約されていくはず。
「人間にしかできないことはなんなんだろう」がここ3年のテーマで、ずっと考え続けてきた。
人間にしかできないのは、一次経験だと思っている。身体でする体験のすべて。そこから生まれる思考、感情の動きを言葉にすること。
AIは書かれていないことは拾ってこれない。でも人間は言葉にしていないたくさんのことを感じていて考えているわけで。
その人間にしかできないジャンルのことが、生きる豊かさみたいなものになると思う。
新年の初記事にも同じようなことを書いています↓
で、今年「書くこと」をもっとたくさん仕事にしていきたい私にとって、エッセイは人間にしかできないことのひとつだと思う。
エッセイはAIには書けないでしょう。というか、書けたとしても、それを読むことにあまり意味がない。
ロボットが突然「今日は味噌汁を飲んだ」とかいう文章を作りだしたとして、そこにどんな意味を見出せばいいのよ、って話。
自分が生きているこの世界で起こっていることを、自分なりの感覚で切り取って言葉にしていく。
私の文章を通じて、読んでくださった人の日常が少しでもより楽しいものになったり、面白かったなって思ってもらえたらいいな、って思う。
今年の一年でやりたいのはそういう感じのこと。
なにげない日常を味わおうとすることや、人間らしくあろうとすること、そもそも人間ってなんなんだろうと考えようとすること。
一見すると、なんの意味もないようなことを感じていくことそのものが大きな意味を持つ時代になっていくんだと思う。
そういう周り道にも意味がある、というようなことをいま読んでいるこの本で学んでいる最中です。(ぶ厚すぎで読み切れない)
今日も一日、おつかれさまでした。