こんにちは。らっこです。
最近、世の中に広がっている「AIに文章を書かせて時短しようぜ」の動きを見ていてモヤモヤしている。ので、思うことを書く。
この動きは今後ますます増えていくと思う。もはや前には戻れない。
個人的には、効率化はよいことだとは思うし、AIも活用してる。けど「AIが文章を書く」と聞いたときの消せないモヤっと感がある。
いいなと思うのは、自分が書きたいことをバーッと話してAIが代わりに文字起こししてくれて、自分が手直しする形式。これは私もやりたい。
でも、取材記事だったらどうだろう。
経費削減のために取材する人だけが同席して、取材された人が話したことをAIが文字起こしして、最後に専門ライターがちょっとだけ手直しする、という文章が溢れる世界になったら…?
私は、ちょっと悲しい気がしてしまった。
せめて、その手直しをするライターが「話した内容を全部ちゃんと聞く」はしてほしいな、と思った。
それが難しいなら、取材した人がグッときたポイントを、ライターさんに連携してほしいと思った。
人間が動くことにはコストがかかる。その一部をAIがやってくれるのはありがたい。
でも世の中に溢れる文章が、人間のフィルターを通さずに生まれた文章ばかりになってしまったら…
なんか「人間が感じるべき大きなもの」が失われてしまう気がするんだよね。
文章からもらえる感動が、きっと減ってしまう気がする。
ライターの佐藤友美さんが『書く仕事がしたい』という本の中でこんなことを書いています。
料理にたとえると、取材は素材集め。そして原稿作りは調理と盛り付けになる(略)
この調理の仕方にライターの個性があらわれます。個性というよりも、人生観といったほうがいいでしょうか。(p.41)
もしもあなたが「ライターが書いているのは、取材対象者のことだ」とか「私は黒子であり、原稿から自分の存在は消さなくてはならない」と思っているのであれば、それは多分ちょっと違います。
どんなに自分の存在を消そうとしても、否が応でも自分がにじみ出てしまう。それが、「人が人を取材して原稿を作る」という行為なのです。(p.42)
私はこの本を読んだときに、取材することも、取材した内容をまとめることも、人間がやらないと意味がないんだろうなと思ったのに。
AIが取材記事まで書いてくれるようになったとして、果たして人はその文章に心を動かされるのだろうかとちょっと思ってしまった。
私は「心が動かないなー」と感じてしまう気がする。なんとなくね。
…でも、見方を変えてみると。世の中にはきっと、知られていないけど面白い取り組みをしている人は、たくさんいるはずで。
AIの広がりによって、もしそういう「まだ知られていない人」の面白いコンテンツをたくさん読めるなら、AIが書いたものであってもいいのかな。
でもその取り組みが面白いと気付く最初のきっかけは、どこまでいっても人だもんね。
これだけ情報が溢れる時代だからこそ、心が動く文章を読みたいけどな。
とか、いろいろ考えてみると、結局のところ人間が書く文章の意味は「人を感動させること」なのだろうな、と思う。
私は、人の心を動かす文章を書きたい。
と改めて思ったのでした。
記事内で紹介した本はこちら↓