こんにちは。
1人目も2人目も切迫だったワーママのらっこです。泣
この記事はこちら↓の続きです。
2人目切迫流産&早産から出産までのレポ①
文字数にして1万2,000字超あり、めちゃめちゃ長いです。
お時間のあるときにお付き合いください。
20wから32wまでの経過
20wの妊婦健診。腹部エコーでは経過は順調でした。
ですが、そろそろお腹も少しずつ大きくなって重くなってきていたので、1人目が切迫だった私は頸管長が気になっていました。
1人目のときにも切迫で入院していましたが、36wで出産するまで頸管長は28mm前後でした。
経膣エコーで頸管長を測ってもらうと案の定… すでに頸管長が30mmしかありませんでした。
先生「ん〜。。(沈黙)…長くはない。注意が必要です。幸いにも子宮口はガッチリ閉じているけど。念のため張り止めも飲み始めておこうか」
張り止めの錠剤・リトドリンが処方されました。1日3回。
頸管長は、20wだと平均が45mm程度、長ければ50mmを超えている人もいるとのこと。
1人目のときには25wくらいまでは45mmあったはずなので、かなり早い時期に短くなっているということです。怖すぎる。
先生からは次の受診は4w後でよいと言われたのですが、張りが強くなってきたような気がして不安で1w後に受診。
21wで頸管長は28mmほど。2〜3mmは誤差とのことなので、一応は現状維持。
ただ短いは短いし、張りがあるならもう入院するか?という話になりましたが、
NST(お腹の張りを測る機械)を装着してみたところ、張りはまだそこまで強くないので、リトドリンを5錠に増やして自宅安静、1w様子見となりました。
私「今の時点でシロッカーの手術(子宮の出口を縛る手術)はできないんですか?」
先生「シロッカーは頸管無力症の人にするものだから。らっこさんの場合は張りがある切迫だから、手術をすることで破水してしまったり、悪影響のほうが怖いからしません」
私「そうですか…」
先生「目標はまず30w。できれば36wだね」
このときまだ21wの私。
30wまでは9w、2ヶ月以上もあります。36wまでなんて4ヶ月近く。
目標までの遠さに絶望…
仕事はこの時点で出産まで休業となりました。
法律上の産休開始日まではまだ3ヶ月ありましたが、そんなこと言っていられません。赤ちゃんの命の方が大事。
引き継ぎなどに時間がかかり完全に休みに入れたのは2〜3週間後でしたが、仕事のストレスもなくなってひと安心。
ここからは完全に母体との戦いです。
私は実の両親が他界しているのもあり、助けが必要なときには遠方の義母を頼る形になります。
20wで安静が必要になったタイミングから来てもらい、家事や上の子の保育園の送迎をお願いしました。
最終的には3ヶ月以上にわたって滞在してもらい、本当に助かりました。
義母が専業主婦で身動きがとりやすく、義父がもうリタイヤしていたのが幸いでした。
が、だんだんと同居が辛くなっていきます。(その話は後の方に書きます)
毎週のように経過観察の受診をし、頸管はなんとか現実維持をキープしていましたが、子宮口に少しずつ変化が出てきました。
24wには「子宮口はガッチリ硬く閉じている」と言われていたのが、26wには「子宮口は閉じているが柔らかくなってきている」に変化。
26wの夜に張りが5分ほどの間隔できてしまい、病院に電話して受診し、最初の入院となりました。
このとき子宮頸管25mmほど。内子宮口が少し開いてきているものの、外子宮口はまだ閉じている(でも柔らかい)状態でした。
最初の入院は26w〜27w。
ウテメリンの点滴をして張りがおさまってきて、数日後に内服に切り替えても張りが強くならなかったので1週間ほどで退院になりました。
退院時は頸管長25mmで、内子宮口は少し閉じてきていた様子。外子宮口は引き続き柔らかいけど閉じている状態。入院したことで状態はよくなりました。
リトドリン1日5錠で自宅安静を2週間ほど続けていましたが、29w2dの妊婦健診で頸管長18mm、子宮口が1cm開いていると言われました。
健診では張りはまだそこまだ強くなかったので入院は回避しましたが、29w5dで張りが強くなったと感じた夜に電話をして夜間受診。
健診時と同じ頸管長18mmで子宮口は1cmほど開いたままとのこと。そのまま入院となりました。
ウテメリン2A30の点滴をして様子見。これは出産まで入院コースかな、、と覚悟していところに、さらなる展開が。
「先日行った糖負荷検査の再検査でひっかかりました。妊娠糖尿病です」
えっ!!
助産師さん「うちの病院、妊娠糖尿病は診られないから、外部の病院に通ってもらってるの。
でもらっこさんは切迫でもあるから動けないからねえ、、今どう対応するか院長が考えてるので、もう少し待って」
私「えっと、過去に切迫で妊娠糖尿病の人はどうしていたんですか?」
助産師さん「切迫で妊娠糖尿病にもなった人はこの病院始まってからたぶんいないと思う。
私ここで15年働いているけど、ひとりも見たことない」
まじで!!
私そんなレアな存在なの??(嬉しくない)
妊娠糖尿病をどうするかはまずお腹の張りがおさまるのを待ってから考えようということになりました。
とりあえずご飯の量を減らして1日1800キロカロリーの食事制限をしながらの入院のスタートです。
ですが、入院して3日目に張りが増えてしまい、ウテメリン流量アップ。2A30から4A20へ。
流量はあと1回しか上げられないので(6A20がMAXです)、それでもおさまらなければ大学病院に母体搬送と言われて怯えました。
1週間ほど経った頃の診察で頸管長は13mm。
点滴をしているのにも関わらず短くなってしまっていました。
子宮口は1cmで変わらないけど、素人の私が見ても内子宮口がかなり開いてるのがわかる。
点滴をしているのに入院した頃と比べて若干悪化している。先生は苦い表情。
宙ぶらりんになっていた妊娠糖尿病のこともあり、先生「これは搬送ですね。大学病院であいているところを探します」
さらに先生「点滴をしているのに頸管が回復してこない(※)。もしかすると頸管無力症かもしれないね」とも。
※一度短くなった頸管長は長くは戻りませんが、点滴をしていると回復してくるのに、それがないという意味と思われます。
(30wで頸管無力症と言われても。。。21wのときに聞いたじゃん!そしたらそのときは無力症じゃないって言ってたじゃん!)
私「今なにかできることはあるんですか?」
先生「ない。できることは同じ。安静にして寝ているだけ」
ガーン…
というわけで、30w5dにて母体搬送決定。人生初の救急車に乗ることになりました。
診察から1時間後には救急車でNICUのある大学病院に移動。
転院後の病院の先生に診察をしてもらい、赤ちゃんに異常はないとのこと。そのままMFICUに入院になりました。
MFICUは他の病院から搬送された人が最初に入る個室の部屋です。
入院初日に医師からの説明。在宅勤務中だった夫もかけつけて同席してくれました。
この病院はむやみに点滴を使わない方針とのことで、まずは薬なしで張りの程度を見るとのこと。
先生は目標週数すら言ってくれませんでした。
「上のお子さんが早産だったとのことで、今回も早産になる可能性が高いです。まずは1日1日を重ねていきましょう」とのこと。
それと「頸管長は短いですが、ここまでくるともう長さは関係ないです。
陣痛を起こさないことが全てです。頻回の張りには注意してください」と言われました。
夫は切迫早産のことをあまりよく理解しておらず「入院してれば大丈夫なんでしょ?」くらいに思っていたようなのですが、この先生からの説明を聞いてはじめてヤバさを実感してくれた様子。
搬送されたのが12月の中旬でした。
先生は結構すぐ産まれると思っていそうだったし、夫も話を聞いて年を越すのは難しいだろうなと思っていたようでした。
私はなんとか1月下旬の36wを目指したいと思っていたけど、搬送時がまだ30w。
1ヶ月以上先の目標は遠すぎて、望むのも辛い精神状況でした。
まずは肺の完成する32wを目指そうと決意。
その次は肺の機能が完成する34w、最後に36wを目指そうと思っていました。
上の子を産んだ個人病院で出産したかったので搬送になってしまったのは残念だけど、
大学病院で切迫早産と妊娠糖尿病の管理をまとめてやってもらえた方が安心だなと思えました。
県で1、2位レベルのNICUがあるということも安心要素。
早く生まれてきて欲しくはないけど、いざというときにNICUに入れると思えたのは心強かったです。
転院して点滴が抜かれたのがお昼頃で、先生からの説明が終わり、色々検査が終わったのが夕方。
その頃には少しずつ張りを感じるようになってきました。間隔は5〜6分ほど。
「張りが強くなってきているから、やはり点滴しましょう!」となったのですが、
すでに個人病院のほうで累計2週間入院していて毎日点滴交換していた私、もう刺すところがない。
初めに助産師さんにやってもらい失敗、次に別の助産師さんも失敗。
その後に研修医さんも失敗。助産師のリーダーさんを連れてきてもらったけど失敗。
入院して早々に4人失敗されて、そうこうしてるうちにも張りは強くなってきます。
このまま点滴が入らず、生まれてしまったらどうしよう…と泣きました。。
最終的には研修医さんが再度トライして手の甲に刺してくれたのでなんとか点滴を開始することができました。
もう、初日からメンタルがボロボロ。
初日と翌日に赤ちゃんの肺の成熟を促すステロイドの筋肉注射もしました。
ステロイドを打ってから72時間経過すれば効果が期待できるそうです。
先生からの説明のときには「産まれる1週間前くらいにステロイドを打ちます」と言われていたのに、張りが強くなってしまったので初日に打たれることに。
先生は私がもたないと思っているんだろうな、というのがよくわかりました。。。
でもステロイドは早く打って欲しかったので、打ってもらえたのはよかったです!
新しい病院には顔見知りの助産師さんもいないし、雰囲気にも慣れないしで不安でいっぱいでした。
あと大学病院だからか若い助産師さんが多いのもドキドキしていました。
これまでお世話になっていた個人病院の助産師さんはベテランさんが多かったので、なんとなく不安に感じました。
出産を終えてみると、皆さん若くても経験豊富だったので心配する必要はなかったんだなと思えたのですが、転院したてのときの不安は強かったです。
妊娠糖尿病の管理が始まって1日したところで、点滴がリトドリンからマグセントに変わりました。マグセントは流量5ml/h。
リトドリンの点滴にはブドウ糖が入っているため、妊娠糖尿病の妊婦には使用しないのだそうです。
変化が訪れたのは31w0d、入院3日目。
早朝に採血されたのをきっかけに張りが強くなってしまい、4、5分おきの張りが来てしまいました。
私はすぐにてもマグセントを増量してほしかったのですが、先生は点滴は副作用もあるので安易には増やしません、まず採血しますとのこと。
さらに「感染の兆候があったら、もう産みます」と言われてしまい、怯えました。
感染がなければマグセントを増やすけど、それでも陣痛が来たら止めませんとも言われました。
私「31wの今、産まれてしまったら赤ちゃんはどうなりますか?」
先生「31wまできていれば命は大丈夫です。
ただ肺は完成していないから呼吸のサポートが必要。
あとは脳や目に後遺症がないかなどのチェックも必要。入院は数ヶ月になります。」
命は大丈夫ですって… その言い方。。
もう産みますって言ってるのに、命以外は大丈夫じゃないんかい!
採血の結果が出るまでにもどんどん張りが強くなり、NSTの記録紙のメモリをぶち破るときもありました。
めちゃ痛い。このまま陣痛がきてしまうんじゃないかと、恐怖のあまり人目も憚らず泣きました。
待つこと1、2時間(めちゃめちゃ長く感じました)、ようやく採血の結果が出て、感染はしていないとのことでマグセント流量アップ。5mlから8mlに増えました。
流量が増えてしばらくすると張りは落ち着いてきてくれて、4分間隔だった張りが少しずつ6分、7分と間隔があいてきてくれました。
「もう大丈夫そうですね」とNSTが外れたときには、陣痛につながらなくてよかった、まだ産まれなくてよかったと、本当にホッとしました。
出産までに陣痛につながりそうな頻回の張りがあったのは、この入院初日と3日目だけでした。
振り返ってみると、
搬送されて環境が大きく変わって、顔見知りの助産師さんもいない、コロナ禍で面会もダメ、家族にも会えない孤独な環境で、精神的なストレスがあったのかもしれません。
病院のリズムに慣れてきてからは、張りはちょこちょこあるものの陣痛につながりそうな怖い張りはありませんでした。心と身体はつながっているんだなとしみじみ感じました。
ちなみにマグセントの副作用は倦怠感と血管痛なんですが、私はしばらく副作用がひどかったです。
最初は倦怠感が強くて、慣れるまで1週間以上かかりました。
ご飯のとき以外はほとんど眠っていました。それくらいだるかった。いくらでも寝られました。
血管痛の度合いは刺す血管によって違いましたが、痛いときは腕を下ろすのも痛かったので、腕を上げたまま寝たりしていました。特に手首と肘裏は常にズキズキと痛かったです。
大学病院での病室について
入院して1週間ほどした頃にMFICUから産科病棟の大部屋に移動しました。31w5dの頃です。
MFICUには通常2週間はいられるそうなのですが、新しい患者さんが入ってくると押し出される感じで移動になります。
産科病棟には産後のお母さんもいて、昼夜問わず赤ちゃんの泣き声も聞こえていました。まだまだ先の長い私には精神的にキツかったです。
妊娠糖尿病について
入院初日から血糖測定スタート。
3日目から6回の分割食になり、1週間ほど経った頃からインスリンの注射が始まりました。
毎日の血糖測定は痛かったけど(指に針を刺します)、大学病院内の代謝内科の先生方が定期的に数値を見てくださり安心感がありました。
インスリンさえ打っていれば大丈夫と思えていたので、妊娠糖尿病への不安はそこまでありませんでした。
ちなみにインスリンの注射は私はそこまで痛くなかったです。針もすごく細いし。
最終的に1日3回打ちましたが(朝昼晩)そこまでストレスではなかったです。指に刺す血糖測定のほうが痛かったです。
どちらかというとキツかったのはおやつや食料の持ち込みが不可だったこと。
甘い飲み物もダメ、食べられるのはそこまで美味しくない病院のご飯のみだったのが精神的に辛かったです。
クリスマスもひとり、年末年始もひとり。
毎日痛い腕で持つスマホを眺めながら単調でつまらない入院生活を送りました。
救いは1日1日、赤ちゃんが日数を重ねているということだけ。
保育器の1日はお母さんのお腹の3日分と助産師さんに言われていたので、「これでまた3日稼げた」と自分を励ましていました。
血管はボロボロだし精神的にも辛かったです。
でもちょうど1年前の私は、流産がほぼ確定していて自然排出待ちでした。
1年前も精神的にボロボロだったので、あのときにに比べたらマシだ、だって赤ちゃんは生きいるんだもんと自分に言い聞かせて乗り越えました。
できれば経験したくないことだったけど、辛い経験をすると多少なりとも人はたくましくなるものなんですかね。
診察について
転院した大学病院の診察とエコーは週に1回でした。
入院時の30w5dで
頸管長13mm
子宮口1cm
でした。
31w5dの診察では変化なし。
32w5dでは
頸管長は13mm(変わらず)
子宮口は2cm(ここにきて少し開いた)
でした。
Twitterでフォローしている切迫仲間さん達が子宮口2cm開いていても3、4週間ほど耐えているのを見ていたので、そこまで凹みはしませんでした。
気にし過ぎず、とにかく陣痛がこないように注意することを心がけていました。
張りのタイミングと頻度
私の場合、張りは朝の空腹時と夕方以降(特に夕食後)に強くなりやすかったです。
張りの頻度は、調子がよければ1、2時間に1回くらい、少し気になるときはだいたい20分に1回、1時間に3回ほど。
1時間に5回以上張るようならナースコールと言われていましたが、陣痛騒ぎのとき以外はそこまで張ったのは1、2回くらいだったかと思います。
入院してすぐに朝の採血の後に張りが強くなった出来事があったので、朝の空腹時の採血には怯えてしまって張りが強くなってしまう傾向がありました。
でも「大丈夫、やり過ごせる!」とマインドコントロールして乗り切りました。笑
32w~生まれるまで
年末最後の32w5dの診察で先生から「年明け、33w5dで点滴を外しましょうか」と言われて急に緊張。
「点滴を外すとそのまま陣痛が来る人もいるし、来ない人もいます。
ほぼ34wなら肺はほぼ完成しているし、点滴をし続けるのも母子に負担になるので、当院では34wで点滴は外す方針にしています」とのこと。
私は点滴がなかったら張りがすごいので、絶対に陣痛につながるだろう、
ってことは早ければ1週間後には産まれちゃうんだ…とドキドキしながら年末年始を過ごし、33w5dの日。
いつ点滴が外れるのかしらと緊張していたら、いつまで経っても診察に呼ばれない。
周りの様子を伺っていると、どうやら外来が忙しかったり入院患者さんが立て続けにお産になったりしたようで、私はスルーされたみたい?です。
しばらくして診察に呼ばれましたが、点滴オフの日は再検討中とのこと。
私は外したら産まれてしまう気がしてできるだけ長く点滴をしていたかったので、再検討になってホッとしました。
33w5dでの診察結果は、
頸管長は11mm(ちょっと短くなった)
子宮口は2cm(変わらず)
でした。
その後は34wを迎えてもなぜか点滴は外されず、ズルズルと過ごしていたら
34w5dでようやく「35w0dで点滴を外しましょう」と決まりました。
そんな35w0dの深夜3時。
なんと点滴を外す前に破水し、そこから2時間ちょっとで産まれました。
上の子のときも破水スタートだったので、今回も破水から始まるんじゃないかと思っていたのですが、やはり。
母親の勘って当たるんですね。
というわけで35w0dでの出産となりました。
細かい出産レポはこちらを参照ください。
本当は36wまで、あわよくば37wまでいってほしかったけど、転院したてのときに30wや31wで産まれそうになっていたことを考えたら「35wまで持ってくれてありがとう」以外の言葉が見当たりません。
2日前のエコーでは2,100gくらいでしたが、出てきた娘は2,600g以上あり、しっかり産声もあげてくれてホッとしました。
誤差バンザイ!泣
娘は早産だったのと低血糖の症状があったので一度GCUに入って2日ほど入院しました。
低血糖の症状は1日ほどで改善し、点滴は1日半くらいで外れました。
ブドウ糖を点滴しながら血糖値のチェックをして、ミルクだけで血糖値が安定すれば点滴が外されるそうです。
GCUは新生児用の治療室ですが、NICUよりも状態が良い子や退院間近の子がいる場所です。
NICUはチラッとしか見えませんでしたが、たくさんの機械があって看護師さんの数も多く物々しい雰囲気でした。
GCUのほうは機械はあるけど少し明るい感じでした。(完全に私の印象です)
3日目からは母子同室ができました。
早朝の黄疸チェックでひっかかって、朝に採血して光線治療が必要かお昼頃に診断… という流れを5日目の退院の日の朝まで3回繰り返しました。
が、結果的には光線治療は必要なく、私と一緒に5日目に退院できました。
35wだと数週間の入院になるケースもあるそうですが、一緒に退院できたのは大きく産まれてくれて状態も安定していてくれたおかげです。
36wで産まれた息子は黄疸のため光線治療が必要になり退院が1日遅れたのに、35wで産まれた娘は同じ日に退院できるってことがあるなんて、と正直驚きました。
先生にも「早く産まれたのに一緒に退院して大丈夫なのか」と質問しましたが、「大丈夫」とのことだったのでドキドキしながらも退院し、自宅での生活をスタートさせました。
初期にあれだけ出血しても持ち堪えてくれ、中期以降には頻繁にお腹の張りがあっても耐えてくれた娘の生命力はきっと強いんだろうなと思います。
私は順風満帆の妊婦生活は過ごせない身体だったけど、できたら健康な妊婦さんみたいにマタニティヨガに行ったり旅行とかもしたかったけど、今はもう無事に産まれてきてくれたことだけで十分です。
入院中の一番のストレス
一番のストレスは点滴でした。
私の腕は点滴が入りにくく、しかも漏れやすいのがとにかくしんどかったです。
(血管が見えにくく、しかも曲がっているところが多いので難しいらしいです)
個人病院では毎日刺し替えていました。
刺してもらうのも痛いし、刺す場所を見つけてもらえるだろうか?って不安になるのもストレスでした。
あまりに刺さらなくて毎回のようにベビー用の一番細い針で刺してもらっていました。
入院が長期に及ぶと刺さるところがなくなってカテーテルなどをすることもあるというのをネットで読んでドキドキしていましたが、大学病院に来てからは、一番短くても2日、長いと6日持ちました。
助産師さんが何回か失敗して、最終的に先生に刺してもらうのがお決まりの流れでしたが、皆さん長くもちそうなところを探してくださっていたのだと思います。おかげさまでなんとか点滴だけで済みました。
退院して1ヶ月半経つ今も点滴の後は消えませんが、勲章だと思っています。
ここからはトピックごとに小さな記録を書いていきます。
振り返って印象的だったこと
一番辛かったこと
一番辛かったのは、やはり上の子(息子)と離れていることでした。
息子に会いたいし話したかったけど、コロナ禍で面会もできない状況だったので、息子に会えたのは退院後でした。1ヶ月半ほど離れていたことになります。
写真や動画を見ると辛くなって泣けてきてしまうので、できるだけ見ないようにして過ごし、電話も控えていました。
考えようによっては面会がなくてよかったのかもしれません。
面会していたら、別れるたびに泣いていたような気がする。
息子には寂しい思いをさせましたが、もう6歳で、自分のことは自分ででき、状況も理解できる年齢だったのは救いでした。
まだ全てのお世話に母親が必要な年齢だったら、もう少し精神的にキツかったかもしれません。
息子は気丈にふるまっていたそうなのですが、やはり寂しさはあったと思います。夫もことあるごとに「健気に耐えてる」と言っていました。
ある日突然母親がいなくなるという経験は息子にとっては辛いものだったはず。
これから時間をかけてケアしていきたいと思います。
入院中のシャワー
シャワーは毎日OKと言われていたのですが、私は破水が怖かったのであまり子宮に負担をかけたくなくて、週に1回程度にしていました。
それ以外の日は身体を拭く程度。冬だからまだ耐えられましたが、夏だったらキツかっただろうな。
でも結果的にはやはり破水したので、シャワーは控えておいてよかったと思っています。
(どの程度関係あるかはわからないけど、負担がかかることは間違いないので)
毎日シャワーできていた人が羨ましかったけど、ここは我慢のしどころだなと思っていました。
便秘
マイナートラブルといえば便秘。妊娠してからずっと便秘に苦しんでいて、長いこと酸化マグネシウムを飲んでいました。
酸化マグネシウムは一日6錠まででしたが、6錠を飲み続けると突然お腹を下してしまうので、様子を見ながら調整していました。
Twitterで酸化マグネシウムは水分をたくさん取らないと効果を発揮しないというのを読み、意識的に水分を多く取るようにしたら少し便秘が改善しました。
便秘もダメ、下痢もダメ、腹圧がかからない程度の硬さに調整する、というのが私には難し過ぎて、妊娠中はずっと便のことを考えていた気がします。
義母との同居生活
私は1ヶ月半ほど入院していたので義母との同居生活は実質2ヶ月弱ですが、いま私にとっては若干トラウマちっくな記憶になっています。
やはり他人と長い期間一緒に住むというのはストレスになるんだなと痛感しました。
包み隠さず書くと、私は2人目がおそらく切迫になる可能性が高いと思っていたし、私側の親族には頼れる人がいなかったので、何かあったら義母を頼るしかないと思っていました。
そのために義母とは良好な関係を維持するように気を遣ってきました。
バレンタイン、ホワイトデー、誕生日のお祝い、その他おでかけしたときのお土産を送ったり、定期的に息子の写真を送ったり。
過去に死産や流産したときにも数日間来てもらって助けてもらっていました。本当の娘のようにかわいがってもらっていたと思います。
ただ数日はよくても、数ヶ月レベルの同居となるとどうなんだろう?という漠然とした不安はあり、その不安は的中しました。
「義母に滞在してもらわないと早産になってしまう」という恐怖心から、私は気づかないうちにものすごく我慢をしていて、それが身体にも影響していたと思います。
入院となったとき、お腹の子のことは心配でしたが、義母から離れられたことにすごくホッとしました。
滞在日数が増えるにつれて、数日の滞在では見えないその人の本質のようなものが見えてきたような気がします。
義母はいい人です。ただイレギュラーなことが苦手なので、いつもと違うことをお願いするときにはすごく気を遣います。
それと自分で決めることが嫌いなので、どんな小さなことも確認されるのが私にはストレスでした。
一番辛かったのは、義母にちょっと言いにくいことをお願いをすると「気に入らないなら帰らせてもらう」と脅されたことでした。
一番衝突したのはタバコのことでした(義母はベビースモーカーです)
タバコはベランダで吸ってもらっていたのですが、義母が吸い終わってすぐに部屋に入ってきてしまうため、残り香が室内に充満するのです。
夫と私が我慢すればいいだけなら我慢するのですが、副流煙はお腹の赤ちゃんにも、息子にも悪影響です。
さすがにタバコを吸うのをやめろとは言えないけど、せめて室内に副流煙が入ってこないようにしてほしい。
夫からそれをやんわりとお願いしてもらったら、「嫌なら帰らせてもらう」と怒ってしまい、説得に数時間かかりました。
最終的にはベランダでしばらく待って息がタバコ臭くなくなるようにしてから部屋に入ってもらう、ということに落ち着きました。
それ以外にも何かあると「帰らせてもらう」と言われるのがすごく辛かったです。
義母の機嫌を悪くしたらこのお腹の子を健康に産んであげられないのではないか、という精神的なストレスが尋常じゃなかったです。
もちろん義母も数ヶ月の滞在できっとストレスがたくさんたまっていただろうと思いますし、私たち夫婦には至らない点がたくさんあったと思います。
助けてもらったことには本当に感謝しているし、今後義母や義父に何かあったときには率先して助けるつもりでいます。
ただ「身動きが取れない妊婦のいる自分の息子の家庭を助けにいく」と決めておきながら、何か気に入らないことがあると「帰る」と脅すというのは、正直しんどすぎた。
それなら最初から頼るのは諦めて全部シッターさんにお願いすればよかった、と思ったこともあります。
途中で帰られたらどう乗り越えればいいかと何度も脳内シュミレーションしていました。シッターさんの登録をしたりもしました。
夫も夫で義母とは気が合わないので(見る限り真逆の性格をしています)同居生活は相当なストレスだったそうですが、終わりまでの日をカウントダウンして乗り越えたそうです。
妊娠中の数ヶ月を義母にきていただいたことで、シッターさんにお願いするよりは格安に終えられたとは思うのですが、私の中では埋められない溝ができてしまっています。
救いは息子がおばあちゃんとの日々を楽しそうに過ごしてくれたことです。息子が嫌な思いをせずに済んだならそれが一番。
義母はお世話に関しては慎重な人で、心から安心できたので、その点は深く感謝しています。
義母との関係性は今後の気がかり事項ではありますが、心身ともに無理せず、自分と家族が一番笑顔でいられる距離感を保っていきたいです。
※追記
産後3ヶ月ほど経ったところで、ようやく義母へのわだかまりがなくなってきました。今はもう普通に接することができるようになっています。
一時はもう関わりたくないと思うくらいに連絡を取るのがしんどかったけど、時間が解決してくれるものなのかな、と感じました。
子どものためにもおじいちゃんおばあちゃんは一人ずつはいたほうがよいと思うので(私の両親は他界していていないので)
これからもほどよい関係性を維持していこうと思います。
夫との関係
今回の妊娠を経て、夫との関係性はグンとよくなりました。
夫は切迫になりたての頃に転職したばかりだったのでピリピリしており、切迫で気持ちが不安定だった私と衝突したことも何度かありましたが、
私がいよいよ本格的に入院で産むまで戻ってこれない雰囲気になった頃から少しずつ会話が増えていきました。(LINEでのメッセージのやりとりのみですが)
お互い義母との同居生活のストレスが限界に達していたのもあり「長くてもあと1ヶ月だから乗り越えよう」という励まし合いをしたり、
点滴が辛い私を励ましてくれたり、息子の成長をともに喜んだり、お腹の中の子の週数が増えていくのを一緒にカウントしたり。
夫は何かにつけて自分で調べたりはしないタイプで、切迫についても「入院しとけば大丈夫なんだろ?」くらいの認識でした。
でも私が搬送になり、医師から私の状況の説明を受けてシビアな状況であることを理解したあたりから、連絡をまめにくれるようになりました。
入院してるからといって無事に産まれることは当たり前ではないこと、だからこそ一日一日を重ねていくことの大事さを共有できたことは大きかったです。
私が入院していた時期はちょうどコロナ禍真っ只中。
面会も立ち合いもできない入院生活はやはり寂しくて長い一日が苦痛でたまらなかったし、家族にも義実家にも負担を強いてしまったけど、こうして無事に産まれてくれた今、達成感と感謝の気持ちでいっぱいです。
以上、私の2人目の切迫早産レポでした。
今まさに切迫で辛い方はゴールまでの日々がものすごく長く感じると思います。
経験した身からするとその辛さは言葉になりません。
切迫にも色々な種類があり、頸管長は短いけど子宮口はガチガチに硬い人もいれば、私のように頸管長も短く子宮口も開いてしまう人もいます。
いつ産まれてしまうかわからないから、治療していれば絶対に大丈夫というわけではないことが不安要素でもあります。
ですが、こうして初期から大量出血しても、20wから安静生活になっても、搬送されても、早産でも、母子ともに無事に産まれた例がここにあることがひとつの明るい参考になれば嬉しく思います。
この記事が今まさに切迫に悩んだり不安を抱えているどなたかに届きますように。
今妊娠している方、妊娠したいと思っている方が無事に出産できますように。
長文で見にくかったかと思いますが、ここまでお読みいただきありがとうございました。
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